ピアニスト・『週刊金曜日』編集委員  チェソンエ(崔善愛)さん

「捏造」は悪意から、「真実」は良心から生まれる

 

米ニューヨークタイムズ紙は元朝日新聞記者・植村隆さんへのバッシングを「日本の右翼、新聞を攻撃」と報じました。

 

「日本の右翼」は、隠れた存在ではなく私たちの目の前にいます。テレビや週刊誌では「知識人」と位置づけられもしています。

 

 そして戦中と変わらないような思想の為政者が「美しい日本」という自国賛美に酔いしれて、戦争と侵略の責任を問う声をつぶし、隣国の被害者の声を重く受け止めるどころか「強制はない」と侮辱しています。

 

 さらに国家権力の側に立つジャーナリストまで現れました。暴力と脅迫で言論を封じたあの歴史が繰り返されようとしているのです。

 

はじめて植村隆さんに会った日、植村さんは沈痛な表情で娘さんのことを悩んでいました。自らの書いた記事によって、高校生の娘さんの顔がネットにさらされ、「殺す」と脅迫されていたからです。それを裁判に訴えればさらに脅迫されるのではないか、と。

 

このとき私は、「提訴することで脅迫の歯止めになるのではないか」と植村さんに助言した記憶があります。私も20代のころ、在日コリアンの人権を訴えるやいなや何通もの脅迫状や電話を受けとりました。その恐怖はからだのどこかに今もありますが、それでも自分の心の中でうずまく、この国の歴史認識への疑問をこれからも発言しつづけたいと思っています。

 

『標的』―この映画は過去ではなく現在進行中の社会そのものです。元慰安婦の女性の証言を報じた記事は「捏造」ではないことを立証し、被害者の尊厳を取り戻すため、私たち市民、弁護士らは結集し連帯しました。その鮮やかな記録映画です。

 

真実は良心を必要とします。そして被害者が語る真実の前にジャーナリストも私たちも謙虚でなければなりません。

 

 この映画は国を超えて多くの人を励まし、良心とは何かを観る人の心に残すでしょう。

    

 


北海道教育大学准教授・植村裁判を支える市民の会共同代表  本庄十喜さん

 誰もが「標的」になりうる社会

 日本軍「慰安婦」制度が軍の組織的関与のもと強制的に行われたものであり、そこで「慰安婦」とされた女性たちの被害のありようは、90年代以降の研究の進展によって解明され、今や歴史学の共通認識となっている。

 

その進展のきっかけの一つとなったのが、元「慰安婦」金学順さんの「名乗り出」であり、彼女の証言の第一報が、当時朝日新聞記者だった植村隆さんの記事であった。

 

その意味において、植村さんの報道は「慰安婦」研究の進展に寄与したものであり、だからこそ、”捏造”バッシングの「標的」にされたのだ。傷つき、家族の時間をも引き裂かれた植村さん一家。

 

その姿を静かに追った映像が胸に迫る。一家にもたらされた苦痛に対する責任は誰が負うのだろうか。この裁判で示された「慰安婦」の定義(「太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称の一つ」)は、学界の共通認識とは相いれず、被告側の主張に偏ったものである。

 

しかしながら、植村裁判における一連の判決は、巷に蔓延る歴史修正主義を映し出した鏡に過ぎないのでもあって、そのような社会においては、誰しもが「標的」になりうる。

 

私も、そしてあなたも。

 

 

 


元新聞労連委員長・共同通信記者 新崎盛吾さん

「捏造」という言葉は、新聞記者にとって死刑判決に相当する重い意味を持つ。単なる間違いを意味する「誤報」とは違い、意図的に事実をゆがめる故意が含まれるからだ。

 

若き日の植村隆記者は、弱者に寄り添う視点から「慰安婦」問題を記事に取り上げた。当時は朝日新聞だけでなく、読売や産経も同趣旨の記事を書いていた。

 

なぜ「標的」になったのかと言えば、それは「朝日新聞だったから」という理由に過ぎない。背景には、朝日の記者が射殺された阪神支局襲撃事件と同様の思想も見え隠れしている。

 

時代が変われば、過去に書いた記事の評価が変わることは珍しくはない。社会部記者として、公安取材など微妙なテーマを扱ってきた自分にとっても、他人事とは思えない。

 

過去の記事を「捏造」と決めつけられ、家族が脅迫されたり、再就職の道を絶たれたりする事態は、今のネット社会では全ての記者に起こりうる。

 

記者が萎縮することなく、自由に取材できる環境を維持する必要性は今、ますます高まっている。


「日本ジャーナリスト会議」(JCJ)事務局長 須貝道雄さん

韓国人女性の金学順(キム・ハクスン)さんが、自分は旧日本軍の従軍慰安婦だったと記者会見で明らかにしてから20218月で30年。金さんはどのような思いで自分の過去を語ったのか。

 

映画『標的』には、ある日の金さんの映像と肉声が出てくる。質問に答える姿、簡素な住居、目の向く先、そのもろもろから彼女の悔しさが伝わってくる。

 

 遠い過去となった戦争の時代。書類が廃棄され、軍幹部が口をつむぐうちに、あたかも従軍慰安婦など存在しなかったような言説が、政治家や知識人と呼ばれる一部の人々から飛び出る世の中になった。彼らがこぞって嫌うのは「朝日新聞」であり、その記者だった植村隆氏にピンポイントで狙いを定め攻撃した。これが植村バッシング事件だった。

 

 それでも金さんの映像は何よりも雄弁に、慰安婦問題の底深さを見るものに伝える。消えない歴史だ。

 

『標的』は2021年のJCJ賞を受賞した。世界中で見てもらい、議論が巻き起こることを願う。


『放送レポート』編集長 岩崎貞明さん

次はあなたが「標的」に              

 

 あなたが、ごく普通の新聞記者だったとしましょう。

 あなたはある時、知りえた情報をもとに、ある当事者を取材して、その当事者の発言を忠実に原稿にして、新聞記事として世に送り出しました。新聞記者としては、ごく普通の仕事のしかたでしょう。

 

 ところが、その記事が、何年も後になってから、いきなり「捏造だ」と批判され、記事を書いた記者として名指しでバッシングを受ける。数えきれないほど多数の脅迫状が自宅に届き、決まっていたはずの転職先からは就職を拒否される。そして、何の関係もない家族の身体・生命までもが危険にさらされる――。こんな理不尽な、不条理な事態に巻き込まれたとしたら、あなたはどうしますか? 次はあなたが「標的」にされるかもしれない。残念ながら、今はそういう時代かもしれないのです。

 

そんな恐怖と危険に敢然と立ち向かって、理解ある仲間とともに立ち上がった一人の記者の姿が、この映画に克明に記録されています。